▲top

    黒鉄の巻(全文)

 

黒鉄の巻〜第1帖  →超訳

汽車あれば汽車に乗れよ。
飛行機あれば飛行機に乗れよ。
歩いたり、馬で行くのでは間に合わんことになっているぞ。
昔のままの宗教のやり方ではならん。
根本はよくても中々に目的地には着かん。
飛行機時代には飛行機に乗れよ。
乗って進む宗教の道によらねばならん。
今は今の姿が真実ぞ。
そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ。
あるものそのものが真実であるぞ。
そのあるものを拝み、祝福してそこから出発せよ。
現在を祝福することは過去を、未来を、すべてを祝福することぞ。
たとえ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。
喜びせねばならん。
喜びもとと申してあろうがな。
この巻くろかね(黒鉄)の巻。

記:1950年1月23日

第1帖のみ1日遅れ

 

黒鉄の巻〜第2帖  →超訳

一切に向かって涙せよ。(ざん)()せよ。
一切を受け入れ、一切を感謝せよ。
一切が自分であるぞ。一切が喜びであるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第3帖  →超訳

理屈は一方的のものぞ。
どんな理屈でも成り立つが、
理屈ほど頼りないもの、力にならんものないぞ。
 ()がゝ◯の(おん)(はたらき)ぞ。
よく見極めねば間違うぞ。
(とら)われるなよ。
他の為に苦労することは喜びであるぞ。
全体のために働くことは喜びぞ。
【光の生命(いのち)】ぞ。
誰でも重荷負わせてあるのじゃ。
重荷あるからこそ、風にも倒れんのだ。
この道理、涙で笑って汗で喜べよ。
それとも重荷はずしてほしいのか。
重い重荷もあるぞ。
軽い重荷もあるぞ。
()いた種、今日や明日には実らんのだ。
早く花が見たく、実が欲しいから(あせ)るのじゃ。
人間の近慾と申すもの。
神の大道に生きて実りの(とき)待てよ。
()いた種じゃ。
必ず実る。
誰も横取りはせんぞ。
万倍になってそなたに返ると申してあろう。
未来にもえつつ現在にもえよ。
神相手に悠々(ゆうゆう)と天地に歩め。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第4帖  →超訳

道は自分で歩まねばならん。
自分の口で食物()まねばならん。
()()めよ。
ウジ虫に(あお)(だたみ)、苦の種じゃ。
(たたみ)には(たたみ)に座るだけの(ぎょう)してから(すわ)らねばならん。
【生命(いのち)はコトぞ。コトはミトコじゃ。】
ミトコは神の心であるぞ。
喜びであるぞ。
ミコトに生きよと申してあろう。
コトあればオトあるぞ。
オトあればイロあるぞ。
イロあればカズあるぞ。
善にも神の心あり。
悪にも神の心がある。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第5帖  →超訳

プラスとマイナスと和合せねばならん。
ただの和合ではムになって力出んぞ。
今までの和合のやり方ではならん。
喜びの和合。融け合う和合。ゝある和合でないと、少しでも曇りありたら和合でないぞ。
(こら)(こら)えているのでは和合でないぞ。
今までの和合の仕方ではカスあるであろうがな。
悪の和合であるぞ。
神示(ふで)(はら)に入れないで御用難しいぞ。
はじめは目標(めあて)つくって進まんと、行ったり来たり同じ道をドウドウめぐりじゃ。
(つか)めるところから(つか)んで行けよ。
拝んで行けよ。
統一した幸福こそ、二二(フジ)晴れの幸福ぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第6帖  →超訳

気づいたことから早う改めて下されよ。
トコトンまで行って神がさすのでは人間の面目ないから、人間同志でよく致して下されよ。
ただ有難いだけではならん。
仕事せねばならん。
努力せねばならん。
じっとしていては進めん道理じゃ。
あかりつけなければ闇の世は歩けんぞ。
それぞれのあかりとなれよ。
油は神示(ふで)じゃ。
油尽きん、いくらでもあかりつけて下されよ。
マツリから出直せよと申してあろう。
結構に大きまつり、小さいまつり、まつろいて下されよ。
神心になれば、神ありやかに見えるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第7帖  →超訳

芽を出したから間引かねばならん。
神示(ふで)読んで、神示(ふで)読まん人間と神示(ふで)(はら)に入り込んでもう大丈夫と、
神が見届けた人間と間引くのであるぞ。
(はら)に入った芽は間引いて他に植えかえるのじゃ。
読んで読まん者、間引いて肥料とするぞ。
わざわざ遠い所へお(まい)りせんでも、自分の家に(まつ)ってあるのじゃから、
それを拝めば同じことじゃ、それでよいのじゃと理窟申しているが、
格の上の所へ求めて行くのが仁義、礼儀と申すもの。
キあれば必ずできるのじゃ。
建て替え致さずに行けば、この世は行くほど悪く詰まるのであるぞ。
早うメザメよ。
マツりせねば真理は通らん。
子供にまつろわねば子供導けん道理。
【自分わかれば一切ありやか。】

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第8帖  →超訳

神の申すようにすれば神が(まも)るから、
何事も思うようにスラリスラリと心配なく出て来るぞ。
区別と順をわきまえておれば、何様を拝んでもよい。
時、所、位に応じて誤らねば弥栄(いやさか)えるぞ。
同じ愛、同じ想念のものは(みずか)ら集まって結ばれる。
天国のカタチ、ウツシが奥山ぞ。
ミソもクソも一緒にしてござるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第9帖  →超訳

神心には始めも終わりも無いのじゃ。
すべてがあるのであるぞ。
世界見よ、三千世界よく見よ。
すべてが()(ふみ)じゃ。
他力の中に自力あるのぞ。
自分ばかりでは成就せんぞ。
足ぶみばかり。
愛は愛のみでは愛でないぞ。
真は真のみでは真でないぞと申してあろうが。
まつり合わせてゝ入れて愛となり真となるのぞ。
愛のみ出ると悪となり、真のみ出ると()となることあるぞ。
(いつわ)りと悪とまつりて善の働きすることあるぞ。
心せよ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第10帖  →超訳

難しいこと申さずに、ひらたく解けと申してあろうが。
ミタマは上中下三段、三段に別けて説いて聞かせねば仕組み遅れるぞ。
始めは神様がして下さるが、向上すると自分でせねばならん。
いつまでも神を使っていてはならんぞ。
理解は真から、意志は善からであるが、今まではそれでよいと説いて来たが、
いよいよ岩戸開きとなったのであるから、二(つぎ)の鍵渡すから、よく心得よ。
今までの教えではマボロシぞ。
力ないぞ。
まつり合わせて意志と働き、ゝ入れて理解できるのであるぞ。
まつりまつりと申してあろう。
上のまつりぞ。
マボロシとは人間智慧のこと。
理屈のことじゃ。
理屈とは悪の学のことじゃ。
(みち)でなければならぬ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第11帖  →超訳

(がく)出すから、()出すから行き詰まるのぞ。
生まれ(あか)()と申すのは学も我も出さん水晶のことぞ。
ねり直して澄んだ水晶結構。
親の心わかったら手伝いせねばならん。
言われん先にするものじゃと申してあろうが。
いつまでも小便かけていてはならんぞ。
人間は罪の子でないぞ。
喜びの子ぞ。神の子ぞ。
神の子なればこそ悔い改めねばならんぞ。
真なき愛の道、悲しみの喜びからも生まれることあるぞ。
それは罪の子と申すのであるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第12帖  →超訳

(つぎ)の御用はフデうつすことじゃ。
フデうつすとはフデを人間に、世界にうつすことぞ。
フデを中心とした世界のはたらきせよ。
ゝ通した人間の仕事仕えまつれよ。
フデ ゝとした世界つくることぞ。
フデに(とら)われるからわからん。
フデ捨てて、仕事に神示(ふで)生かして生活せよ。
生活がフデじゃ、わかりたか。
早う次の御用急いで下されよ。
宗教に生きて、宗教に(とら)われるでないぞ。
仕事が宗教じゃ。
小さいことから始めよ。
小乗の(ぎょう)と馬鹿にするでないぞ。
小乗の(ぎょう)から大乗の真理を(つか)むのであるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第13帖  →超訳

理屈で進んで行くと、(しま)いには共喰いから、(われ)(われ)を喰うことになるぞ。
神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ。
結構に導いて下さるぞ。
悪を意志して善を理解すること許さんぞ。
悪を意志して善を理解せんとするのが悪ぞ。
善を意志して悪を理解せんとするのも悪ぞ。
悪を意志して悪を理解する(ところ)に、善としての悪の(はたらき)生まれるのだ。
幽界もまた神の(しろ)し召す一面のこと。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第14帖  →超訳

悪の総大将は奥に隠れてござるのぞ。
一の大将と二の大将とが大喧(おおげん)()すると見せかけて、世界をワヤにする仕組み、
もう九分通りできているのじゃ。
【真の理解に入ると宗教に(とら)われなくなるぞ。形式に(とら)われなくなるぞ】。
真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の(いつわ)りもわからんのじゃ。
今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。政治いらんぞ。
喜びの歌高らかにナルトの仕組み、二二(ふじ)にうつるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第15帖  →超訳

人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。
人間はいつも善と悪との中にいるのであるから、
善のみということもなく悪のみということもない。
内が神におりて外が人に和し、内が霊におり外が体に和せば、それでよいのじゃ。
そこに喜び生まれるのじゃ。
神から出た教えなら、他の教えとも協力して共に進まねばならん。
教派や教義に(とら)われるは(じゃ)の教え。
(ぶた)真珠(しんじゅ)となるなよ。
天国の意志は人間の喜びの中に入り、幽界の意志は悲しみの中に入る。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第16帖  →超訳

いよいよ表の守護と相成ったぞ。
表の守護とは、良いものもなく悪いものもなく、
ただ喜びのみの守護となることじゃ。
悪いもの悪くなるのは表の守護でないぞ。
心得なされよ。
一つの魂を得ることは一つの世界を得ることじゃ。
人間は一人でないぞ。
神は善人の中にも悪人の中にも呼吸しているぞ。
悪なくては生きて行けん。
悪は悪でないぞ。
外道の悪が悪であるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第17帖  →超訳

霊ばかりよくてもならん。
体ばかりよくてもならん。
持ちつ持たれつの世であるぞ。
わからんのは、(われ)が偉いと思っているからぞ。
目覚めればその日その時から良くなる仕組み、
結構楽し楽しで どんな世でも過ごせるのが神の道。
【智の中に悪を取り入れるゆとりのできんようではマコト成就せんぞ。
智の中にはすべてを取り入れて理解できるように】なっているのであるぞ。
愛の中に悪入れてはならんぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第18帖  →超訳

目覚めたら起き上がるのぞ。
起き上がらずにはおれまいが。
神の命ずることは丁度そのように人間に移るのぞ。
霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違い多いぞ。
心せよ。
ものに対しては人間そのものが霊であるぞ。
人間はこの世の神と申してあろうが。
ものは人間の自由自在。
偶像は排すべし。十像は拝すべし。
悪に行く(みち)はないぞ。
(みち)は善のみに通じているぞ。
(みち)なきところ進むでないぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第19帖  →超訳

愛から離れた理解はないぞ。
善から離れた真理はないぞ。
(タネ)なくて芽は出ん道理。
人間の智でわからんことは迷信じゃと申しているが、
神界のことは神界で呼吸(いき)せねばわからんのじゃ。
わからん人間だから何と申しても神を求めるより、
いよいよになったら道ないことぞ。
学に(とら)われて、まだ目覚めん気の毒がウヨウヨ。
気の毒じゃなぁ。
人間は霊人のカタシロになるからこそ養われているのじゃ。
生長して行くのじゃ。
血は愛によって生き、愛はヨロコビによって生きるのじゃ。
ヨロコビなき所に愛はないのだぞ。
ゝないところ生命(いのち)栄えんぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第20帖  →超訳

(まか)せ切らねばマコトの安心立命ないぞ。
任せ切るには、任せ切って安心できる神をつかまねばならん。
おかげ信心や病気治しの神では任せ切れまいがな。
早う合点結構ぞ。
大きな生命(いのち)に通じる者には死はないぞ。
通じなければ死あるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第21帖  →超訳

身も心も(うれ)(うれ)しとなるのがまことの神じゃ。
ものの(うれ)しさだけではゼロじゃ。
たまの(うれ)しさだけでもゼロじゃ。
よく心得なされよ。
死後のみ説く宗教はゼロの宗教じゃ。
迷うでないぞ。
この世で天国に住めん者、
天国に行ける道理ないのじゃと申してあろう。
神は人間の命、
人間は神の容れものであると申してあろう。
人間の極まるところは神であるぞ。
霊人は中間の存在ぞ。
人間は神への土台ぞ。
この道理わかるであろうがな。
 ゝ◯は三五七ぞ。
  三のゝ◯から三五のゝ
 三五七のゝ

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第22帖  →超訳

顔まで変わっているのにまだ気づかんのか。
病気に皆がなっているのにまだ気づかんのか。
何事も早い改心結構。
自分で自分の心の中は中々につかめんものであろうがな。
その中にまた心あり、また中に心があるのじゃ。
心は神界ぞ。
霊界や神界のものを肉体の自分で(つか)もうとしても中々じゃ。
うなぎつかみと申してあろうが。
ヌラリクラリと(つか)んだはずが(つか)んでないぞえ。
(つか)むには身と魂と一つに和せねばならん。
ゝから愛と智とが生まれると申してあろうが。
智と愛との和合によってゝがまた生まれるのじゃ。
ゝは喜びであるぞ。
ゝの別のゝであるぞ。
そのゝからまた別の愛と智が生まれ、
また別のゝが喜びとなり、
その喜びの愛と智の喜びと結んで、
また喜びのゝ生まれるのぢゃ。
神は(ひたい)から入って顔全体に至り、
全身に及ぶものであるぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第23帖  →超訳

何事も体験結構。
今の人民の迷信と思うものの中に正信あるぞ。
正信と思うものの中に迷信多いぞ。
理解は正信。
神の気通ったら、その気を人間にうつす御役、
救いの御役を結構につとめあげてくれよ。
自分の自由にならんことは大き自分が自由にしているのであるぞ。
神となれば、神人となれば何事も心のまま。
 神とは神、大神とはゝ◯一十(かみひと)のこと。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第24帖  →超訳

悪とはカゲのことであるぞ。
斜めに光を頂くから影できるのじゃ。
影は主人でないぞ。
絶対は何と申しても絶対ぞ。
相対から神を求めると、相対の神が(あら)われるぞ。
相対で神の道に導くこと中々じゃ。
必ず後戻り、わかりはせんぞ。
この神示(ふで)(はら)に入ったらグレンと変わりて来るぞ。
早う(はら)に入れて下されよ。
間に合わん。
天の声は内から聞こえて来る。
人間の言葉は外から聞こえて来る。
霊耳と申すのは内からぞ。
耳ふさいでも聞こえて来るのじゃ。
悪霊自身は自身を悪と思ってないぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第25帖  →超訳

心は草にも木にも石にもあるぞ。
天にまたたく星にもあるぞ。
ただ薄いか厚いかの相違であるぞ。
ゝの中のゝに悪は入れんのであるぞ。
外のゝの中に、外の智の中に悪が入るのじゃ。
人間の智に中には悪も善も入るぞ。
入るからこそこれは善じゃ。
これは悪じゃとわかるのじゃ。
人間の自由はそこにあるのじゃ。
自由なければ発展ないぞ。
弥栄(いやさか)ないぞ。
霊を信じる者は霊と語り、肉を信じる者は肉と語り得るのじゃ。
人間そのものから湧き出づる喜びは無いぞ。
よく心得なされよ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第26帖  →超訳

神は理屈ではない。
(みち)であるぞ。
生きた自由自在の、見当取れん、絶対であるぞ。
ただ求めるより他に道ないぞ。
親呼ぶ(あか)()の声で神を求めよ。
神に呼びかけよ。
すべてを投げ出せよ。
任せ切れよ。
神は喜びの光となって、そなたに現れて来るぞ。
理屈の信仰に(とら)われると邪道。
(あか)()心の理解は第一ぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第27帖  →超訳

神は人間の想念の中に入っているのじゃ。
想念が一致するから神の想念が人間に伝わるのぞ。
人間の言葉となって人間に現れる。
言は神であるが、人間でもあるぞ。
自分が自分に語るのであるぞ。
この道理、よく心得なされよ。
時待ちて起き出て下されよ。
恨みの霊は中々にとけんぞ。
思いは(はたら)き、実在と申してあろうが、
間違いでも恨まれると、恨みがまといつくぞ。
心して神を求め、心して幽界からのキ断ちて下されよ。
わかったと思ったら(てん)()ぞ。
(かえり)みると良くなる仕組み。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第28帖  →超訳

喜びに()け入るから(うれ)しいのぞ。
喜びから遠ざかるから悲しいのぞ。
そんなことわかっていると申しているが、
ホントに身体(からだ)にわかっていまいぞ。
喜びに入る門は愛からじゃ。真からじゃ。
二道あるなれど愛から入るのが入り易いが、
愛からでは誤り易い。
生まれてすぐ歩けるものでないぞ。
始めから何もかもできるものでない。
気長に進んで行けよ。
内の念と外の念とあるぞ。
二つあるぞ。
一つであるぞ。
三つであるぞ。
心大きく、広く天地に放さねば、
天地のキを吸うことできんぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第29帖  →超訳

運命は自由自在のものではあるが、また強いるものでもあるぞ。
大きくも、小さくも、薄くも、厚くも、その人の心次第に変わるぞ。
(もと)は霊界にあるからぞ。
(うれ)(うれ)しで運命を迎える気、結構ぞ。
この世のことだけで この世のこと動かんぞ。
霊界との関係によって、この世が動いている道理わからねばならん。
早う神の心に、神意さとれよ。
遠慮いらん。
何事も天から出て来るのじゃ。
天からとは心からのことじゃ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第30帖  →超訳

表ばかり見ているからわからんのじゃ。
水晶の心なれば三千里先のこともありやか。
人民というものは奇跡見ても、病気になっても、
中々改心できんものじゃ。
死後の生活がハッキリわかっても、まだ改心できんのじゃ。
それは外からのものであるからじゃ。
まことの改心は、中の中のゝのキいただいて、
発根(ほっこん)の改心できねばならん。
死後の生活知らすことはよいなれど、
それのみによって改心せよと迫るのは悪のやり方。
奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのじゃが、
それのみによって改心を迫ってはならん。
それのみで道を説いてはならんぞ。
そんなこと位でマコトの発根(ほっこん)の改心ができるならば、
人間は(とう)の昔に改心してござるぞ。
今までのような宗教は亡びると申してあろうが。
亡びる宗教にして下さるなよ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第31帖  →超訳

中の自分と外の自分と和せよ。
それが改心の第一歩。
聞かせて聞くならば、実地はカタのカタ位ですむなれど、
慾入ると邪気湧く、邪気湧くと邪霊集まるぞ。
肉体人に神は直接わからんものぞ。
神は(はたら)き、神の働きの影しかわからんものぞ。
神の姿、見たと申すのは、神の姿の影を自分の心に描き出したまでであるぞ。
心にわかっても肉体にわかるものでないぞ。
肉を魂とせよ。
魂を魂の魂と向上させよ。
ひらけ来るぞ。
何事も(とが)むでないぞ。
(とが)む心、(てん)()ぞ。
神の前にへり下り、へり下ってもなお過ぎるということないのじゃ。
人間は、色とりどりそれぞれの考え方を自由に与えてあるのだから、
無理に引っ張ったり、教えたりするでないぞ。
今あるもの、今生きているものは、
たとえ極悪だと見えても、
それは許されているのであるから、あるのであるぞ。
他を排すでないぞ。

記:1950年1月22日

 

黒鉄の巻〜第32帖  →超訳

祈りとは意が乗ることぞ。
霊の霊と霊と体と合流して一つの生命(いのち)となることぞ。
実力であるぞ。
想念は魂。
魂は霊であり、霊の世界に属し、霊に生きるのであるぞ。
ものは霊につけられたもの、
霊の霊は、霊につけられたものであるぞ。
ものにはものの生命(いのち)しかない。
(まこと)生命(いのち)は霊であるぞ。
生命(いのち)のもとの喜びは霊の霊であるぞ。
霊の霊が主だと申してあろう。
奥の奥の奥のゝは大神に通じるゝであるぞ。
喜びであるぞ。
ゝある為に人間となり、
人間なるがゆえに神となり、
神なるがゆえに喜びであるぞ。
他の生き物にもゝはあれど、外のゝであるぞ。

記:1950年10月18日(旧暦9月8日)

 

黒鉄の巻〜第33帖  →超訳

神が映らぬと申しているが、心をやわらかくしてマカセ切れば刻まれるぞ。
平らかにすれば正しく写り、凹凸(でこぼこ)すれば曲がって映る。
神の前に固くなってはならぬ。
人間は肉体を持っている間でも、
その霊は、霊の国に住んでおり、
霊の霊は、霊の霊の世界に住んでいるのであるぞ。
この道理よくわきまえよ。
愛は脈うっているぞ。
真は呼吸しているぞ。
肉体にあっては肺臓は呼吸し、心臓は脈うつ、
この二つが一つであって、肉体を生命(いのち)する。
喜びと三つが一つであるのぞ。
霊にあっては霊の心臓、霊の肺臓、喜びであるぞ。

記:1950年10月18日(旧暦9月8日)

 

黒鉄の巻〜第34帖  →超訳

祈りは弥栄(いやさか)であり、限りない生活であるぞ。
生命(いのち)のイキであるぞ。
祈りからすべてのもの生まれるぞ。
(まこと)の喜びの祈りからはゝが生命(いのち)し、
影の祈りからは◯が生命(いのち)するぞ。
人祈れば神祈り、人為せば神なる道理じゃ。
禁慾は神の御旨でないぞ。
慾を浄化して、生めよ。産めよ。
今の人民、慾の聖化を忘れてござるぞ。
慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ。
慾を導けよ。
自分だけならば五尺の身体(からだ)、五十年の生命(いのち)であるが、
霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、
無限大の身体(からだ)、無限の生命(いのち)となるぞ。
マコトの(うれ)(うれ)しのよろこびとなるのであるぞ。

記:1950年10月18日(旧暦9月8日)

 

黒鉄の巻〜第35帖  →超訳

キが到れればモノが到れる。
モノを求める前にキを求めよ。
目当てなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり。
人生の目当て、行く先の見当てつけずに、
その日暮らしの、我よしの世となり下がっているぞ。
 目当てはゝ◯のゝでないか。
ゝに向かないでウロウロ。
草木より、成り下がっているでないか。
為すことはイノること。
人の為にイノるは、己の為にイノること。
今の人民、イノり足らん。

記:1950年10月18日(旧暦9月8日)

 

黒鉄の巻〜第36帖  →超訳

天界に行く門は輝き、幽界に行く門は(やみ)であるぞ。
(やみ)の門は閉ざされ、光の門は開かれているぞ。
天界は昇り易く、幽界は落ちにくいぞ。
神と金と二つに仕えることはできん。
そのどちらかに仕えねばならんと、今までは説かしていたのであるが、
それは段階の低い信仰であるぞ。
影しかわからんから、時節が来ておらんから、
そう説かしていたのであるが、
この度、時節到来したので、
マコトの道理説いて聞かすのじゃ。
神と金と共に仕えまつるとは、
肉と霊と共に栄えて(うれ)(うれ)しとなることぞ。
(うれ)(うれ)しとはそのことであるぞ。
神と金と二つとも得ること(うれ)しいであろうがな。
その次には霊の霊とも共に仕えまつれよ。
まつれるのであるぞ。
これが、まことの正しき(みち)であるぞ。
今までの信仰はどこかに寂しさ、もの足りなさがあったであろうが。
片親がなかったからぞ。
天に仕えるか、地に仕えるかであったからぞ。
この道はアメツチの道だと知らせてあろうがな。
清くして富むのがまことじゃ。
地も富まねばならんのじゃと申してあろうが。
これから先は金もうけばかりもできん。
今までのような、神信心ばかりもできん。
神の(みち)を進む者は(いや)でも金がたまるのじゃ。
金がたまらねば深く(かえり)みよ。
(みち)(はず)れてござるぞ。
人は罪の子でない、喜びの子ぞ。

記:1950年10月18日(旧暦9月8日)

 

黒鉄の巻〜第37帖  →超訳

宇宙は人間の心のままと申してあろうが。
宇宙は未完成のものと申してあろうが。
永遠に未完成であり、弥栄(いやさか)であるぞ。
そこに生命(いのち)あり、喜びあるのじゃ。
大神の中で、宇宙はなりなりているのであるから、
ナリ、永遠になるのであるぞ。
不変の中に千変万化、自由自在の存在を与えてあるのじゃ。

記:1950年10月18日

 

黒鉄の巻〜第38帖  →超訳

人間の死後、自分の命のもっとも相応(ふさわ)しい状態に置かれるのであるぞ。
悪好きなら悪の、善好きなら善の状態に置かれるのであるぞ。
皆々、極楽行きじゃ。
極楽にもピンからキリまであるぞ。
神の(むね)に添う極楽を天国と言い、
添わぬ極楽を幽界と申すのじゃ。
心の世界を整理せよ。
そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。
神の(みち)がわかれば、わかっただけ自分がわかる。

めでたさの九月八日の()仕組(しぐ)み、
とけて流れて世界一つじゃ。
白銀(しろがね)黒鉄(くろがね)、これで終わり。

記:1950年10月18日(旧暦9月8日)

 

黒鉄の巻〜第39帖  →超訳

 ひふみ神言 
ひふみゆらゆら。
ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

 あめつちの数歌 
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり、もも、ち、よろず。

 ひふみ祝詞(のりと)(柏手を打ちながら、三五七調)
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。

 いろは祝詞(のりと)(柏手を打ちながら、三五七調)
いろは にほへとち りぬるをわかよ
たれそ つねならむ うゐのおくやま
けふこ えてあさき ゆめみしゑひもせすん。

 アイウエオ祝詞(のりと)(柏手なし)
 ン◯㋒アイウエオ カキクケコ サシスセソ タチツテト
ナニヌネノ ハヒフヘホ マミムメモ ヤヰユエヨ
 ラリルレロ ワヰウエヲ㋒、ン

記:1950年10月18日(旧暦9月8日)