MAC山便り(表示サイズは「中」でご覧下さい)

原文は(2002、04)より記載(保存版)

MACって何?


                                                          
                                                            平成9年1月18、MAC新年会山行・岩殿山にて
                                                       伊吹さん(故人)が山らしい山を登ったのはこれが最後となった。                                                    
「ミツミ電機山岳部の生い立ち」と
               「MAC OB会の発足」
                 


「MAC」とは”ミツミアルパインクラブ”即ち”ミツミ電機山岳部の略称である

そもそもMAC OB会の前身はミツミ電機山岳部であり、部員のほとんどは独身で、探究心旺盛で、自然が大好き、山が大好きの若者の集まりだった。
この山岳部の創始者であり、部員たちに絶大な影響を及ぼしたのは、他ならぬOB会の前会長故”伊吹正登”であった。
この私も”伊吹さん”に誘われて始めて登った山が、「丹沢の塔ヶ岳」である。
思えば、今から40年も前の事であるが・・・・・・・。
彼のお父さんも、実は植物学者で自然が大好きで、山が大好きで、南アルプス辺りを飛び廻っている頃に出来た子供がこの”正しく登るの「正登」であった。
父親の血を引いていた彼も物心つくと山に登りはじめ、ついにミツミ電機山岳部の初代山岳部部長として、50人からの部員を統率する事になった

昭和35年の山岳部創設から、冬と夏の合宿、その為の訓練山行、月例山行、ミツミ電機全体の春の尾瀬沼のハイキング、夏の富士登山を始めとして、お月見山行、
ザイル祭り、ヨーデル山行等のお遊び山行と実に多彩で、忘れがたい「山人生?」を経験した。
そして月日が流れ、若者達は結婚し、子供ができ、又あるものは会社の幹部として忙しい毎日を送り、いつ日かだんだん山から、山岳部から、山仲間から遠ざかっていった。

この忘れがたい「山人生」は昭和48年1月28日、よみうりランドに程近い「稲城・いろり」と言う小さな居酒屋で実を結んだ。
現役を去って数年、誰彼とはなしに、「今までのように山に行けないけど、せめて山の話などしようぜ」と言う事になった。
MAC OB会の発足である。
                                                   2002年4月

 
MAC OB会の発足から26年が経過、伊吹さんと我々山仲間との永遠の別れは平成11年6月23日に突然訪れた。享年64歳。それはあまりにも若過ぎる別れ
でもあった。
我々は平成11年11月20日、彼の父親がこよなく愛した”南アルプス”、そしてそこに埋葬されている父親と共にこの南アルプスが一望できる「夜叉神峠」に彼の
遺骨も埋葬する事にした。この”追悼山行”では、MAC・OB会の会長を引き継いだ”金子さん”の追悼文が朗読され,涙の追悼山行となった。
この感動の追悼文
「追悼・伊吹さんを偲んで(金子 圭一)」は”MAC山便り”の中に永久に保存する事とした。
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