MAC山便り

原文は(2002、04)より山行の都度追加記載

MAC山行記録

*この”MACの山行記録”に記載する基準は、MAC OB会の公式(新年会など)山行及び非公式(事務局からの案内及び二人以上の参加)山行に限って記載し、個人山行は別途記載します。


 年月日        

行き先・ 宿泊先                    
  参    加    者     特  記  事  項     
S48.01.28
(1973年)
稲城・いろり 伊吹、飯島、稲垣、金子
佐藤(孝)、佐藤(隆)、美濃
杠、吉村、大谷   (10名)
OB会の発足
(現役を去って数年、仲間で集まらねェかと・・・・)
S50.1月
(1975年)
氷川屏風岩遊ぶ
(五日市・光明山荘泊)
伊吹、飯島、飯村、稲垣、金子
佐藤(孝)、佐藤(隆)、美濃、杠、吉田、大谷 (11名)
この時から毎年実施
(この頃はまだ皆、山のカッコして、山にも登ったりしたが・・・・・)
S51.1月
(1976年)
川苔山・百尋の滝
(氷川・平石山荘泊)
伊吹、飯島、飯村、稲垣、金子
佐藤(孝)、佐藤(隆)、原、美濃
(9名)
初めての平石山荘
(平石山荘がすっかり気に入って以降、毎年16回も・・・・)
S52.1.23
(1977年)
氷川、平石山荘泊 伊吹、飯村、金子、佐藤(孝)、美濃、吉村  (6名) そして、山にも登らず、山のカッコしてくるやつもいなくなった・・・・)
                      =以降・毎年平石山荘へ=
S55.10月
(1980年)
西丹沢・中川温泉
(家族で)
多数(数え切れない) 家族ずれでニジマスのつかみどり
車の鍵を中に残したままドアーを閉めちゃったやつもいたっけ
S57.1月
(1982年)
氷川・平石山荘泊 伊吹、飯島、石飛、金子、原
美濃、杠、吉村、吉田  (9名)
この頃、平石山荘でのんびりして、八王子の金子宅へ・・・が恒例になった)
S58.1.29
(1983年)
五日市・光明山荘泊 伊吹、飯島、飯村、稲垣、金子
佐藤(孝)、佐藤(隆)、原
美濃、吉田、    (10名)
(どうゆうわけか、この年だけは光明山荘へ行った・・・・)
                       =以降・毎年平石山荘へ=
H2。1月
(1990年)
氷川・平石山荘泊 伊吹、飯島、石飛、稲垣、金子
原、吉田、杠、
大谷、雪野、栗田
平成に入って女性会員も参加するようになった。
H3。1.26
(1991年)
氷川・平石山荘泊 伊吹、飯島、石飛、稲垣、金子
佐藤(孝)、原、美濃、吉田
杠、吉村、大谷、栗田、波多野
            (14名)
青梅マラソンに出っくわして帰りはえらく車が渋滞した。
H4.1.25
(1992年)
氷川・平石山荘泊
(最後の平石山荘)
伊吹、飯島、石飛、稲垣、打木
金子、原、美濃、吉田、吉村
杠、大谷、波多野   (13名)
打木君が子連れで参加
(この新年会の後、会長の機嫌をそこね16年続いた平石山荘もこれが最後に・・・)
*例の伊吹会長事件
H5.1.30
(1993年)
田野鉱泉・石黒館泊 伊吹、飯島、石飛、稲垣、金子、佐藤(隆)、原、美濃、吉田、吉村、栗田      (11名) 平石山荘からの旅立ち
(そして、神社仏閣めぐりが多くなった)
H6.2.5
(1994年)
裂石温泉・雲峰荘泊 伊吹、飯島、石飛、稲垣、金子、佐藤(隆)、原、美濃、吉田、吉村、杠、栗田、雪野   (13名) 露天風呂で雪見酒
(山男達のヘアーヌード写真のオンパレード)
H7.2.4
(1995年)
雪の夜叉神
峠と桃の木温泉泊
伊吹、飯島、石飛、稲垣、金子、佐藤(孝)佐藤(隆)、原、美濃、吉村
           (10名)
久し振りに雪の夜叉神峠に登る。
(OB会初のカラオケ大会・・・伊吹、飯島も初めて歌う
H7.7月
(1995年)
八ヶ岳山麓・原山荘泊 =非公式・有志=
伊吹、金子、原、美濃
金子さんの定年記念
H8.3.16
(1996年)
大月・橋倉鉱泉泊 伊吹、飯島、石飛、金子、佐藤(孝)、佐藤(隆)、原、美濃、吉田、吉村、杠、栗田、雪野    (13名)
(稲ちゃん、シンガポールヘ)
伊吹さんの全快祝いと、金子さんの百名山完登達成祝い
(この時からOB会として記念品を出すようになった)
H9.1.18
(1997年)
岩殿山から稚児落しへ
(大月・橋倉鉱泉泊)
伊吹、飯島、石飛、金子、原、美濃、吉村、杠、雪野    (9名)
(孝幸さんは香港へ、吉田さんは台湾へ)
記念すべき岩殿山登山
(伊吹さんはこれが最後の山登り、そしてOB会はこれを機に再び山へ・・・・)
H9.5.31
(1997年)
千葉・館山の杠山荘泊 =非公式・有志=
伊吹、金子、原、美濃、杠
鋸山の入口の坂で伊吹さんが座り込んでしまう・・・。
H10.3.21
(1998年)
雪の帯那山と積翠寺温泉泊 伊吹、飯島、金子、佐藤(隆)、原、美濃、吉村、杠、穴口
              (9名)
これが伊吹さん最後の新年会となった
(久し振りに穴口オカァチャンも参加して)
H11.1.13 打木敏雄君・シンガポールにて急逝す・・・・・・
H11.3.20
(1999年)
南ア山麓・十国温泉泊と滝めぐり 飯島、稲垣、金子、佐藤(隆)、原、美濃、吉村、穴口、雪野   (9名) 伊吹会長の姿なく・・・・
H11.6.23 まさかの伊吹会長逝く・・・・動脈瘤破裂により6月23日の早朝に永眠する。享年64歳。 あの感動の「追悼・伊吹さんを偲んで(金子 圭一著)」は、このMACホームページが続く限り、永久に保存します。
H11.11.20
(1999年)
追悼山行・夜叉神峠と桃の木温泉泊 参加者:遺族を含む18名 夜叉神峠に彼の遺骨を埋葬し、桃の木温泉で涙の追悼会。
上記の追悼文をネコさんが朗読。
H12.1.22
(2000年)
雪の鹿倉山に登る(久し振りの平石山荘泊) 飯島、石飛、稲垣、金子、原、美濃、雪野、佐藤(隆)   (8名) ちゃんと飯島さんのリタイヤー記念
(このところ皆すっかり山づいている・・・・)
H12.6.4〜6.6
(2000年)
2000年記念山行・乗鞍岳と上高地
福地温泉「飛水」と上高地「西糸屋」に宿泊
飯島、石飛、金子、原、美濃、杠、穴口、雪野      (8名) 2000年記念の少し贅沢な山旅
(伊吹さんが楽しみにしていたのだったが・・・・)
H12.9.9
(2000年)
八ヶ岳山麓・稲垣山荘開き 飯島、金子、佐藤(孝)、佐藤(隆)、美濃、杠、穴口、稲垣   (8名) 杠さん、孝幸さんのリタイヤー記念も・・・・
(これでOB会も別荘が三つになった)
H13.4.7
(2001年)
奥多摩・三頭山登山
三頭山荘泊
飯島、石飛、金子、佐藤(孝)、原、美濃、吉村、杠、雪野、稲垣
                (10名)
大雪で4月にずれ込んだ新年会・・・・
(この時鳳凰三山の計画が・・・・・)
H13.9.22〜24
(2001年)
OB会・アルプスを登る
鳳凰三山縦走
(広河原山荘と薬師岳小屋泊)
飯島、池田、稲垣、金子、佐藤(孝)、美濃、吉村(杠)  (7名) 夜叉神峠で伊吹さんの墓にお線香あげてから縦走開始・・・・
(三日間ともまれに見る快晴、新潟から池さんも参加、OB会もいよいよ本格的な山行へと復活した・・・・)
H14.1.26
(2002年)
谷川山麓「観倉会」と水上温泉の新年会
(奥利根館泊
飯島、石飛、稲垣、金子、美濃、佐藤(孝)、原、吉田、杠、吉村、池田、佐藤(隆) (13名) 吉田さんも帰って来て、OB会もすっかり山づいている・・・・
(隆さん、吉田さんのリタイヤー記念も兼ねて)
H14.5.24.25.26
(2002年)
八ヶ岳・天狗岳
(本沢温泉泊)
吉村さん還暦記念山行
飯島、金子、稲垣、美濃、佐藤(孝)、佐藤(隆)、原、吉田、吉村、池田(10名 前日の金曜日から”稲垣山荘”に泊まり、夜中まで飲んで、翌日バテた人あり。本沢温泉の談話室の75歳のオッサンの言葉「1人になっても、這いつくばってでも、山に登ろうと思っている」が合言葉に・・
H15.1/25.26
(2003年)
奥多摩・稲村岩
(平石山荘泊)
池田さんMAC復活記念山行
稲垣、飯島、池田、佐藤(孝)、杠、吉田、美濃、金子、(佐藤(隆)、原))(11名) 奥多摩駅、池さんが来るのを待って、
お昼過ぎから稲村岩に登る。何とものんびりした山行だが、思いがけず雪が深い。下山後、平石山荘で新年宴会、池さんに記念品贈呈のセレモニーの後、会長決裁により台湾遠征の延期を正式に決める。
H15.4/11,12
(2003年)
夜叉神峠・伊吹さんお墓参り山行
(南アルプス温泉ロッジ泊)
池田、原、吉田、佐藤(孝)、美濃(参加者のみ5名) 夜叉人峠は雪が深く、伊吹さんのお墓を見つけ出すのに苦労する。
原さんの”般若心経”が雪の中に吸い込まれてゆく。
その前日の宿泊先では遅くまで”スイスアルプス遠征”の打ち合わした。
H15・6/21,22
(2003年)
スイスアルプス訓練山行と打ち合わせ
北八ヶ岳・池巡り&横岳
(富士見・原山荘泊)
池田、原、吉田、佐藤(孝)、美濃、稲垣(6名) 始めから孝幸さんが幹事の珍しい山行となる。横岳から下山中、孝幸さんが濡れた木の根にすべり捻挫、この後孝幸さん苦難の日々が続いた。
H15・7/19〜27
(2003年)
スイスアルプス山行
(別紙・HP第6号)
池田、原、吉田、佐藤(孝)、美濃(5名) 行動記録詳細その他・MAC OB会ホームページ第6号”特集・スイスアルプス山紀行に記載。
H15・9/13,14
(2003年)
スイスアルプス・反省会兼写真見せッこ山行・甘利山・夜叉神峠
(南アルプス温泉ロッジ)
池田、原、佐藤(孝)、美濃、飯島、金子(6名) スイスアルプスの時の好天は伊吹さんのお陰と思い、例によって夜叉神峠の伊吹さんの墓参と山行・夜はスイスアルプスの傑作写真や飯島さんはカナダの写真など、お互いに見せ合った。
H16・1/24,25
(2004年)
MAC OB会新年会
竜ヶ岳登山
(ふじみ壮泊)
池田、稲垣、飯島、
佐藤(隆)、佐藤(孝)、原、金子、美濃(8人)
富士山の眺望が素晴らしく、又ダイアモンド富士などで有名な”竜ヶ岳”に登り、途中の東屋で新年の餅入りうどんを食べる。
新年初登頂祝いとして持って来たお酒は既にここで飲んでしまった。
夜はミツミOBの”渡辺さん”の宿で昔話に花が咲いた。
H16・7/3,4
(2004年)
尾瀬が原散策と至仏山登山
(東電小屋泊)
金子(含奥さん)、
飯島原、佐藤(隆)、佐藤(孝)、
美濃、吉村、池田
(9人)
鳩待峠より至仏山登山と尾瀬ヶ原散策の2班に別れて登山開始、あの飯島さんが至仏の途中より足が吊ってしまい遅れる。
集合場所の東電小屋には若干遅れるものの、風呂もあり山行の疲れを癒してくれた・・・・。
H16・9/4
(2004年)
MAC特別集合
原さんの水彩画個展の開催
(京王玉川・喫茶店)
稲垣、飯島、杠、佐藤(隆)
金子、吉村、原、美濃(8人)
”旅の思い出”と題した水彩画の個展の案内が原さんから届き、京王玉川駅に集まる。MACの仲間達が葬式以外で集まるのは極めて異例。原さん宅ですっかりご馳走になってしまった。
ここで伊吹さんの”お墓参り山行”の話が出る。
H16・11/6,7
(2004年)
夜叉神峠・故伊吹さん
お墓参り山行
(南アルプス温泉ロッジ)
稲垣、飯島、佐藤(隆)
原、金子、佐藤(孝)、吉田
美濃、波多野、打木(10人)
「そろそろあの狭い骨壷から出してやろうよ!」なんて事で、
原さんの個展の席上で決まった。
例によって快晴。久しぶりに女性陣の参加もあり、昔の山男達はうれしそうに登る。
夜は伊吹さんの笑顔が印象的なDVDを見る。
H17・1/29,30
(2005年)

MAC OB会新年会
群馬県・岩櫃山
(川原湯温泉泊)
金子、佐藤(孝)、飯島、原、池田
佐藤(隆)、松井、美濃(8人)
今回は久しぶりに雪野さんも参加して会長推薦の”岩櫃山(いわびつやま)と言う山に登った。
頂上直下の鎖場は皆結構緊張したが下山途中で思いがけず”日本カモシカ”の親子に出会う。皆、夢中でシャッターを切った。
H17・4/23
(2005年)
西丹沢・大室山・加入道山
(日帰り山行)
原、佐藤(孝)、松井、美濃 今回は非公式な山行で全員で4人だけの少人数ながら周遊コースを無事一周した。
H17・10/29,30
(2005年)
尾白川渓谷経由・日向山
(白州観光キャンプ場
  バンガロー 泊))
原、佐藤(孝)、金子、飯島・美濃 青春時代を思い出して、久しぶりのバンガロー泊、キャンプファイヤー等も企画したが、雨でお流れ・・・・しかし翌日登った”雁が原”は紅葉とも相まって素晴らしい景観と山頂からの展望を堪能した。。
H18・1/28,29
(2006年)
MAC新年会山行
  雪の上高地
(中の湯温泉旅館 泊)
金子、佐藤(孝)、飯島、稲垣、
美濃
故伊吹さんの愛娘”穂冬美ちゃん”を連れて「美しい冬の穂高を観に行こう」としゃれ込んだ。残念ながら不参加だったが、今までとは全く違う”冬の上高地”を堪能した。中の湯温泉も感じが良く、何となく得をした感じの新年会でした。
「イアナイヒト」は今回もいなくなってしまった。
平成18・12・7
(2006年)
東丹沢・鍋割山
(日帰り山行)
佐藤(孝)、美濃 二人だけの少し寂しいMAC山行だが、今年の山行納めとしては
楽しい山行だった。鍋割山頂近くで出会った鹿の親子の写真を早速MACの仲間の年賀状に使った。
しかし、闘病生活を送っている隆さんの事を思うにと年賀の挨拶もイマイチ乗らず、長年続いたMAC新年会も打ち止めか?
H19・03・23
(2007年)
伊豆長岡・葛城山&城山
(天城高原・天城の里 泊)
金子、佐藤(孝)、飯島、稲垣、原
杠、波多野、打木、穴口、吉田、美濃
長年続いた”MAC新年会山行”はやらずじまい、そんな訳で異例の
3月の山行となったが、MAC始まって以来の総勢11人の参加となった。
伊豆の山と言い、慣れない低山の山行とあって、道に迷う事しきりだったが、当初の予定通り、城山の頂に立てた。
事務局お勧めの宿では全員カラオケなどに興じて、大いに盛り上がった。
H19・08・22
(2007年)
長らく臥せっていた隆さんがとうとう逝ってしまった。8/22午後11時46分、永眠する。
病名は”悪性リンパ腫との事だった。
吉村さんのお袋さんが亡くなり、その事をMACの仲間に連絡している時に、なにやら胸騒ぎがして隆さんの自宅に電話をした。
奥さんの計らいもあり、MACの有志で8/19に見舞いに行った。隆さんは我々に会えて、ほっとしたのだろうか?その僅か3日後に帰らぬ人となった。
H19・09・29
(2007年)
東丹沢・三の塔
(足慣らし山行・その1)
    
佐藤(孝)、吉田、美濃 今年初めより小生(美濃)は股関節痛に悩まされて、新年会山行(葛城山)以降、山らしい山はほとんど行くことが出来ず、治療に専念した。そのお陰もあって、順調に快復してきたように感じていた。そろそろ山に登って診ようか、だけど少し不安?
「俺が付いて行ってやるから、足慣らしに行こう」と孝幸さんが言ってくれたので、比較的短い距離(往復3時間半)のこの山を登る事にした。幸い股関節にはそれほど影響は出なかったが、二日後の筋肉痛のひどかった事・・・・・・!。
H19・11・8
 (2007年)
東丹沢・鍋割山、塔が岳
(足慣らし山行・その2)
佐藤(孝)、飯島、吉村夫婦・美濃 長い間母親の介護をしていた”吉村さんの足慣らし山行その2”である。今回は二俣を基点に”鍋割山”に登り、調子が良ければ”塔が岳”にも足を伸ばそう、との孝幸さんの計画である。いつもながら孝幸さんには”おんぶにだっこ”である。
歩行時間合計6時間弱、小生にとっては今年最長の歩行時間である。
皆無事走破したが。吉村さんの奥さんの健脚振りには驚いた。
H19・12/1、2
(2007年)
隆さん追悼山行・夜叉神峠
(南アルプス温泉ロッジ泊)
未だに信じられない”原さんの急逝”
佐藤(孝)、飯島、吉村夫婦、金子夫婦、波多野、打木、隆さん家族、美濃そして原さん それは、夜叉神峠の頂上のあの広場まであと10mくらいの最後の登りで起こった。
原さんが突然転倒して、1分後位には状態を確認した後に、直ちに覚えたての心配蘇生法を試みた。しかし原さんはこの世に再び蘇る事はなかった。
山梨県の防災へりが到着するまでの40分間位、懸命に頑張った。
その後、へりにて甲府市内の病院に緊急搬送されたが、12時42分心配停止が確認された。白峰三山が木の間から見えるあの鞍部に立って、隆さん家族の写真を原さんが写したのが11時45分頃それから僅か10分後くらいに転倒し、死亡。
1時間前には元気で写真を撮っていた人がこの世に居ないなんて、信じろ!と言う方が無理!暫くは夢を見ているようだったが、12月5日からの葬儀で矢張りこれは現実に起きた事と理解しなければいけなかった。
H20・05/24、25
(2,008年)
「原さんを偲ぶ会」山行
        (杖突峠〜森屋山)
(ペンション・ケイト泊)
稲垣山荘にてバーベキュー

金子、稲垣、吉村、飯島、打木
波多野、飯村、穴口、美濃
(特別参加=原さんの奥さんと娘さんの旦那さん)
ここの所、天気に恵まれず、山行の度に雨で中止だったが、今回も2日間とも雨だった。稲垣山荘でのバーベキューは原さんの奥さん達の特別参加と沢山の差し入れ等で大いに盛り上がった。特に女性陣3人の活躍で喰いきれないほどのバーベキューと山菜の天ぷらなど、盛沢山の料理で無理やり腹に詰め込んだ感じ!・・・・・・。
翌日の”森屋山山行”は雨のため、早々と断念。美術館と柳生さんの八ヶ岳倶楽部に寄って帰ってきた。
H20・12/6、7
(2,008年)
原さん一周忌山行(夜叉神峠)
(南アルプス温泉ロッジ泊)
金子、稲垣、飯島、佐藤(孝)、飯村
吉村、美濃
先月11月15日(土)に原さんの一周忌の法要が行われ、そこで奥さんから生前、原さん愛用の眼鏡を貰い、我々は再びあの夜叉神峠を訪れる事
にした。何かが又・・・・みたいな気持ちもあり、昨日はなかなか寝付かれない。しかしこの気持ちを払拭しなければ再び夜叉神を訪れる事が出来ないような気がしたのは、私だけだろうか・・・・・?
しかし結果として、何事も無く全員無事に下山、その夜のロッジでの酒の美味しかった事・・・・・。あの白峰三山は今度も我々を暖かく迎えてくれたのだった。
H21・01/30、30
(2009年)
MAC新年会山行(乗鞍・善五郎の滝&上高地)雪の上高地・・・・A
(中の湯温泉旅館泊)
金子、佐藤(孝)、吉村、吉田、美濃 原さんの思い出を引きずっていた我々もようやく落ち着いて、本来のMACの山行に戻れそうな気分で再びあの”冬の上高地”を訪れた。
ずっと晴天続きだったが天候も雨模様、もうとても無理と諦めていたが、明け方からから雪に変わり、釜トンネルを出た辺りから、何とも言えないメルヘンの世界へ引き込まれる。
雲間から時々顔を出す、焼岳、穂高連峰など、前回とは又違った”冬の上高地”を堪能した。又再び訪れる事を穂高に約束して、田代池辺りで雨模様となり引き返す。
H21・03/26
(2009年)
丹沢・天神尾根より塔の岳・丹沢山
(日帰り山行)
佐藤(孝)、飯島、吉村、飯村・美濃・(黄さん) 私のアルバイト先の”山好きのおばさん(黄さん)”も誘って春まだ浅い丹沢に出かけた。何時もの様に、コースは丹沢の主である”孝幸さん”にお任せの日帰り山行。昨夜来の結構な雨降りで、明日は無理かと思ったら
朝方は雪交じりの悪天候、でも戸沢の出合いまで行ってからどうするか
考えよう、と出かけた。
ところが大倉尾根を登る頃、辺りはすっかり雪山となり、特に塔の岳から
丹沢山に向かう登山道は踏み跡が全く無い積雪のバージンロード、この季節にしては珍しい、雪の丹沢を満喫して帰ってきた。
H21・05/28、29
(2009年、計画のみで実行せず)
幻の八ヶ岳・天狗岳 佐藤(孝)、飯島、吉村、美濃 3月の丹沢山行の時に、孝幸さんから「このメンバーで天狗岳に行こう」と言う事になり、本沢温泉も予約し、集合時間を確認する為にハガキも出して、後は行くだけ、と言う段になり、私自身に重大な健康上の問題が見つかり、あえなく山行を断念、本来は「山行を中止」したのだから、ここには書くべきではないと、思ったが、「今後は山には登れないかも?」との思いから、あえて書いた次第である。
H21・11・27,28
(2009年)
夜叉神峠(墓参り&快気祝い&少し早めの忘年会山行)
    (白雲荘泊)
金子、稲垣、佐藤(孝)、吉村、飯村
吉田、穴口、美濃(8名)
もう山登りなんてこの先無理?なんて思っていたが、幸い順調に快復してそろそろ山登りの準備を、と毎日少しずつウオーキングの距離を延ばして
いた矢先に、ネコさんから電話があり、ネコさんも常念岳の下山途中で転んで肋骨を折って、暫く山へ行ってない、と言う。久しぶりに「お墓参りに行こうぜ・・・」と言う事になり、夜叉神峠登山となった。
当日は素晴らしい天気で、明日も同じ様な天気だ言う。夜叉神は明日登る事にして、途中のキャンプ場で早々と昼飯。
何時も宿泊する”南アルプス温泉ロッジ”は閉館で、隣の”白雲荘”に宿泊して、大いに盛り上がった。
翌日も予報どおり素晴らしい天気で、例のお墓ではワインを故人に飲んでもらい、合掌。
 H22・01/21、22、23、
(2010年)
 越後湯沢・何時もと少し違う新年会山行
(ウ”ィレッジ ヨシタニ泊)
金子、飯島、吉村、飯村、佐藤(孝)、美濃(6名)   「トンネルを過ぎると、そこは雪国であった」・・・かの有名な文頭の書き出しがピッタリの景色が広がる。MACの山行としては珍しく全員が高速バスの利用で雪国の町”湯沢”に出かけた。今年は例年に無く積雪が多く、”飯士山”登山はとても無理な状況で、2日目は午前中スノーシュートレッキング、午後からは年甲斐も無く近くのスキー場でスキーに挑戦!ネコさん、飯島さん以外はまともに滑れるわけでもなく、悪戦苦闘。吉田さんの親戚が営んでいるスキー宿に宿泊、吉田さんの口利きもあってか、雪国の宿の大サービスの歓待を受けて充実した気分で3日間を過ごす事が出来た。
 H22・04/24
(2010年)
 大峰山・足慣らし日帰り山行  金子、稲垣、飯島、佐藤(孝)、飯村、吉村、美濃(7名)  新年会山行の時に、話が出ていた「大峰山」を今年は是非登ろう、と言うことになったが、ネコさんの計画では、大峰山縦走の3日間の内、中日が合計歩程8時間40分と言う事で、並大抵の体力では無理?と思い、行く前に”丹沢”で足慣らしをして、自信をつけておこう、と言う事になった。
大倉から三の塔を登り下りして、合計7時間程度の足慣らし
 H22・05/19、20、21
(2010年)
 奈良・大峰山縦走(2泊3日)  金子、稲垣、飯島、佐藤(孝)(4名)  中日の歩程時間8時間40分が気になったり、自信がなかったりして結局参加者は4人だけになった。MAC現役ばりばりのメンバーが集まった。
 H22・07/23、24
(2010年)
 八ヶ岳・天狗岳(1泊2日)
(本沢温泉泊)
 飯島、飯村、佐藤(孝)、吉田
吉村、美濃(6名)
 1日目は稲子湯からミドリ池経由で本沢温泉泊、あのおなじみの”野天風呂”では水着のおねーちゃんと混浴、みんなご機嫌で写真に納まった
2日目は夏沢峠から天狗岳、中山峠より下り、稲子湯に戻る。
 H22・10/22、23
(2010年)
 焼岳(1泊2日)
(中の湯泊)
 飯村、佐藤(孝幸)、美濃(3名)  この季節の上高地は紅葉真っ盛り。特に中の湯附近の紅葉は圧巻で、購入したばかりの、オリンパスペンのデジカメデ、3人とも夢中でシャッターを切る。当日は曇り空で、大正池まで出かけたが、穂高連峰は雲の中だった。翌日は天気予報通り、朝から快晴で、中の湯の裏手から登り始める”新中の湯ルート”で焼岳を目指した。今日は雲ひとつない快晴で、穂高もバッチリ。私はバテバテだったが、何とか焼岳に登ったが、直ぐ傍にある三角点まで登る気力はなかった。上高地まで延々と下る。
 H22・12/05  夜叉神峠・お墓参り山行
(日帰り山行)
 金子(奥さん)、吉村(奥さん)、隆さん奥さん、佐藤(孝)、稲垣、飯村、打木、波多野、美濃(合計11名)  夜叉神峠に着くと、直ぐに”お墓のある”樹の根元で、持参した花とボージョレヌーボーをここに眠る仲間に振りかけて、その後は、昼飯に”おでん”を温めて食べた。今日も快晴で白峰三山がバッチリ。